Story

♩四つ葉のクローバーとの出会い 

物心ついたころには、四つ葉探しがだいすきでした。 東京で生まれ、幼少期は大阪の自然が豊かな田舎で過ごしました。

母と一緒に散歩をすることが多かったのですが、そのときに四つ葉が珍しくて大事なものだと教えてもらい、自分でも探すようになったのではないかと思います。 そして、なぜかはわからないのですが、大多数の人が歩けるように、私はいつの間にか四つ葉をたくさん集められるようになっていました。光って見えるような、焦点があうようなそんな感覚があります。好きだから見つかるのかなと思っていましたが、最近では、四つ葉たちのほうが呼んでくれていて、だから見つかるのかなと思っています。

 

♩もしかしてみんなは四つ葉のクローバー光って見えないのかな...?

幼稚園に入園する少し前にまた引越し、東京に戻ってきたのですが、変わらず四つ葉探しが大好きでした。 でも、一つ気になることができました。もしかしてみんなは四つ葉が光って見えないのかな...?ということでした。 友だちと四つ葉を探す機会がときどきあったのですが、みんなはなかなか見つけることができず、最初は偶然かと思いました。しかし何度繰り返してもいつも自分だけがたくさん見つけることができてしまう。人と違う自分に戸惑い、自分が見ている世界や感じていることは、多くの人には理解してもらえないものなのかもしれない、という恐れを抱くようになりました。

また、お肉やお魚を食べることがとても苦手で給食がなかなか完食できなかったため小学生1年生のころは放課後に一人だけ居残りをさせられることが何度もあったり、10代の前半の2年間ほどはひとりだけ先生に下の名前で呼ばれていて教室内で気まずかった経験などもあり、一人だけ何かが違うと嫌なことや悲しいことが起こってしまうという信念を持ってしまい、いろんなことを周囲にあわせるようになっていきました。そして四つ葉探しが大好きなことも隠すようになりました。 

小学生のころの夢と諦め

四つ葉探しと同じく、手でものをつくることも好きでした。 図工の時間は毎回とってもワクワクして楽しくて、あっという間に時間が過ぎていきました。

将来は芸術家になりたいなぁ、自分が素敵だと思えるものを創る人になって生きていけたらいいな、と思っていたのですが、「芸術家は一部の才能のある人しかなれないんだよ。お金を稼ぐのも大変だし。(だからやめておきなさい)」という親からの言葉や、いい大学に入って大企業に就職するほうが幸せだという同調圧力を受け、小学生にして早々と夢を持つ事はやめてしまいました。

人前に立って何かを伝えることや、さまざまな人と関わることも好きだったし、一人で植物を観察したりものをつくったり動物とふれあうことも好きでした。興味があることはなんでもやってみようと思って挑戦するタイプだったのですが、目立ったり一生懸命に物事に取り組んでいると、調子に乗っているとバカにされたり妬まれることもあったので、やりすぎないようにしようという意図がはたらきコントロールするようになっていきました。

  

 ♩人生を終わらせたくなった中学生時代

 中学生になるときにまた引越しをして環境がガラッと変わってしまい、ショックを受けました。登校するとクラスメイトの机が倒されていたり、教室の窓ガラスが割れたり、静かに勉強している子がいきなり暴力を振るわれたりしているのを目の当たりにして、学校に行くのが怖くなってしまいました。

学校に行くだけで辛くて精一杯だったので、学校以外の時間は土手で花やクローバーとふれあったり、家で静かにものをつくっていたかったのですが、そういうことをする許可はもらえず、精神的な居場所がなくなってしまうことを避けるために、親や先生を含め、多くの人が認めてくれそうな勉強や部活の大会で成績を残すことなどを頑張りました。

成績はそれなりによく部活では全国大会に出場し、楽しいことや嬉しいこともある反面、なぜかはわからないけれど毎日とても辛くて、一人になるとよく泣いていました。毎日心が痛くて喉の奥がギュッと詰まったような感じがして苦しくて、1日を1週間以上に感じることもありました。もう頑張れないかもしれないなと思うようになっていきました。どうしてこうなっているのかわからなかったし、誰もわかってくれない気もして、誰かに相談しようという気にはならず、マンションの20階に住んでいたので、ここから飛び降りて全ての感情から逃れようと思いました。そしてついにマンションの手すりに足をかけたのですが、そこから身を投げる勇気がないことに気がついてしまい、現実と向き合わざるを得なくなりました。そのころに次の引っ越しがまた決まったので、そこまではなんとかやり過ごそうと思うようになりました。そんな状態を経験したからか、将来は精神科医やカウンセラーなどになって、人の心をよりよくできる人になるのもいいなぁと思ったこともありました。

すこし慣れたかなぁと感じられるようになった中学2年生の夏にまた引越しをして、転校もしました。そのあとに大きな挫折をしました。授業中なにもないのに泣きたくなってしまったり、たくさん勉強をしたのに20点台のテストが返ってきたり隣の人に教科書見せてとすら言えなくなってしまうし、体重も10kg近く増え...自分が知っていた自分が次から次へと消えてしまい、とても困惑しました。

そんななか、小学生のときにつくった作品が教科書に載ったのですが、当時の自分はいなくなってしまっていたし、今までもらった賞や成績を上げることよりもずっと嬉しかったのに、誰もいっしょに喜んでくれなかったので、悲しくて複雑な気持ちになりました。

テストの点数や内申点が悪化したことを怒られたり責められたりしたため、すべてを犠牲にして勉強してなんとか偏差値70程まで伸びたのですが、第一志望校には落ちてしまいました。こんなに引っ越しが多くなく安心感のある日々を送れていたら受かったのではないだろうかというやるせなさや、生きる場所を選べない無力感を覚えました。このときの様々な気持ちや感覚は、のちに自由な人生を生きるためのきっかけになったように思います。また、受験に失敗したことは残念ではありつつも、あれだけ勉強したことが幸せな感覚に繋がっていないことに気がつき、周囲の大人が良いという偏差値や地位や名声に執着することは本当の幸せにはつながらないのではないかと思うようにもなりました。

 ♩居場所を探した高校時代

たくさんの悔しさや自分を変えたいという気持ちとともに、高校生になりました。

入学したクラスに、当時の私とは違い、周囲とのギャップや完璧でないことを恐れたりせずに生きている子がいて、席替えで前後になったのをきっかけに仲良くなりました。その子といっしょにいるなかで徐々に心が開いていき、クラスの友だちにもいい意味で変わったねと度々言われるようになりました。そして、しばらくして以前より元気になったころ、中学生のときの悔しさややるせなさをバネに、人生を豊かにするチャンスを掴めそうなことに取り組みはじめました。

ドイツへ短期留学に行ったり、SNSを使って憧れの人を探したり会いに行ったり、将来が豊かになりそうな本を読んだり、大学の授業を受けに行ったり、自分を知るためにできるだけ動きました。そんな生活を続けているなかでようやく、約5年ぶりにちいさな光が見えてきました。

自分と向き合っているなかで、周囲の人の期待に応えるために、本当の自分と向き合うことを避けて生きていたから辛くなってしまい、幸せを感じ取ることができていないのだということにも気づきました。自分には何が向いているのか、何をやりたいのか、誰とどんなコミニケーションをとることができたら幸せだと感じることができるのか、そんなことを考えるようになりました。

そしてある日、高校の渡り廊下を歩いているときに、中学生のときの辛かった経験は、これから先、たくさんの人の希望につながるものであり、私の今までの人生の点と点はすべて線になっていて、これから先もつながっているということに気がつき、まるで身体に電流が流れたかのように驚いたことを今でも覚えています。

 また、授業の代わりに土手で四つ葉探しをしていたときに、近い将来テレビにでたり本を出したり、四つ葉のクローバーといっしょにいろんな仕事ができるという強い予感がしました。それは大人になったいま全て現実になっています。目に見える実績はなくても自分のなかに確かにある未来に気づき信じることができれば、素晴らしい未来に辿り着くことができるのではないかと思います。

♩自分のなかにある種に気がついて育てていく

模索しているなかで、四つ葉探しや物づくりがだいすきだったこと、誰かの心をより良くできるような人になりたかったことを思い出しました。これらを掛け合わせて、仕事ができたらいいなと思うようにもなりました。とある大学の講義を受けに行った高校3年生の初夏に、そこで出会った四角大輔さん(ニュージー ランドの湖畔に暮らす執筆家)になら打ち明けても大丈夫だろうと思い、勇気を出してお話したところ、「天才だね!発信した方がいいよ!」などと言ってくださり、それから四つ葉のことを発信するようになりました。

 最初の頃は、四つ葉の話をしてもなかなか理解をしてもらえなかたり、バカにされて傷ついて保健室で泣いたこともあったのですが、徐々に、面白いね!素敵だね!などと肯定してくれたり応援してくれる人も現れるようになりました。

応援してくれる人の声を支えに、四つ葉のしおりを作って配ったり、プレゼンコンテストに出て自分の夢を発表したり、SNSで発信してみたり、、可能性のあることはできる限りやってみました。そんなこと続けているうちに、協賛企業さんが見つかったり、テレビに出るようになりました。

また、百貨店さんなどの商業施設に作品を展示販売することが叶ったり、国境を超えて、イタリアやイギリス、スイスなどはじめ様々な場所のコレクターさんとも出会うことができました。 

先が見えなくて苦しかったり、中学生のときの出来事がフラッシュバックしてやっぱり自分はだめなんじゃないかと思ったことも何度も何度もあったのですが、温かく応援してくださったり見守ってくださった方々がいてくださったおかげで、前進し続けることができました。四つ葉のクローバーたちと一緒に進んだ先に素晴らしい世界があるという確信が、私を突き動かしていたようにも思います。

  自分とつながることによって、素晴らしい出会いを経験する

自分の夢が次々と叶うようになっただけでなく、作品を買ってくださった方や私を知ってくださった方から、 「生澤さんの作品を支えに自分と向き合い、好きなものを好きと言えるようになり夢を見つけまし た」「生澤さんの作品や生き方をみていると、自分も才能が開花していく感じがします。」「Your work is really amazing!! Thank you!!!! という連絡がたくさん届くようにもなりました。

過去に悩み苦しんで模索したことが、周りの人や遠くにいる誰かのエネルギーに変わったことが本当に嬉しく、宿命を生きることの素晴らしさを知りました。 自分が自分らしく生きることによって勇気や励ましを感じ取ってくれる人がいる、そしてそんな人たちが自分らしく生きることによって更にその輪は広がっていく、ということが自分にとっての幸せであり、創りたい未来なのだと気がつきました。 

三つ葉に囲まれた四つ葉のクローバーのように、周囲とのギャップを気にして、好きなものを好きと言えなかったり自分のほんとうの気持ちを表現して生きていくことに抵抗がある人が、今の世界では多いのではないかと思います。

しかし、勇気を出して、自分を表現することにより、生まれた場所や育った環境を超えて同じような人たち=理解者に出会うことができるのではないかと思います。 そんな理解者に出会うことによって、より自分らしく生きることができるようになり、感じていたギャップはいつの日か、誰かの勇気や励ましに変えることができる、ということを生き方や作品を通して伝え続けていきたいなと思っています。

 ♩最後に

ものや情報があふれ変化が激しく、なにかと心が落ち着かない今の世界で、多くの人たちがこれから必要とすることの一つが、自分にとっての幸せを見つけることだと思っています。街を歩いていても、ネットを開いても、情報は無限とも思えるくらいに溢れていますが、人生を豊かにするきっかけや幸せは、いつだって自分自身の心のなかにあるのだと思います。ひとりひとりが、自分にとっての豊かさを問うきっかけになる作品づくりや発信を続けていきたいなと思っています。

 言語や文化が違っても、人の心には通じるところがあるし、アートには、人の心を生活を人生を、豊かにする、そんな力があると私は信じています。

いま周囲とのギャップを感じている人も寂しさや孤独を感じている人も、少し勇気を出して、好きなものを好きといい、じぶんとつながって生きていくと、きっとどこかで素敵な出会いがあり、人生が豊かになるのだと思います。四つ葉の作品や私の生き方が、そんなきっかけに、そして支えになれば幸いです。

2020年にイタリア人のインフルエンサーのMarcoさんに紹介いただいたことをきっかけに、日本に拠点をおきながら、世界に向けて活動ができるようになりました。これからも、世界中の人が、愛と自然とともに生きることにより生まれ持った才能を開花させて生きていくことのできる世界を目指し、一生懸命に進んでいきたいです。

たくさんの三つ葉のクローバーの中にある四つ葉のクローバーのように、ひとりひとりが自分にとっての幸せを見つけることのできる世界を一緒につくっていただけたら、心から嬉しく思います。

 生澤 愛子